半世紀以上も昔のこと。
青森高校で古文を習わされた。教師の名は忘れたが、脂ぎったオジサン顔と渾名だけは覚えている。
〇「無駄だよ」と十七のころ厭ひたる古文の教師の渾名は「ばふん」
そんな生意気盛りが古希をすぎてから短歌を詠もうとは……。
「一日一首」と詠み続け、気づけば(内容はともかく)数だけは千首を超えた。
いわゆる「白い巨塔」で生息していた頃の習慣だろうか。
自作の短歌に『しちじふのてならひ』と名付け、医師脳(いしあたま)を号した。
〇七十歳の手習ひなるや歌の道つづけてかならず辞世を詠まむ
〇満帆に〈老い風〉うけて「宜候」と老い真盛り活躍盛り
〇うれしきは毎朝いるる珈琲に「おいしいね」と言ひて妻が笑むとき
〇生き甲斐が働き甲斐なる生活に「老い甲斐あり」とふ痩せ我慢もなす
〇「先生」と呼ばれ続けて半世紀いまや符牒のやうなものなり
〇「日々一首」と詠み続けたし一万首。吾も百寿の歌詠みとならむ
〇人生の川にも澪木(みをき)を立つるごと刻舟とならざる一日一首を
〇老いはてて彼も汝も誰か薄れ去りいずれ消ゆらし吾の誰かさへ